ワタスが新卒で入社した会社は当時最大手の流通業Dグループの子会社でスポーツ用品を扱う全国チェーンでした。
スポーツ用品を扱う会社だけあってほとんどの社員が大学の体育会出身で、社風は上下関係が厳しい体育会そのものでした。
よって3つ先輩ともなると神の領域ですから黒いものでも白と答えるのが常識の職場だったのですが。
その中でも最もゴンタ(悪い・・)と恐れられていた先輩が上司となったのはワタスが就職して3年目の時でした。大阪の梅田に新業態のスキー用品のディスカウントショップをオープンさせるということになり、体育会系の中では異例のおちゃらけ野郎として目立っていた?ワタスに異動の抜擢辞令が下り、喜んだのも束の間その店の店長に抜擢されたのがNさんでした。
当時はスキーブーム真っ盛り、ホイチョイプロダクションの映画「私をスキーに連れてって」が大ヒットしていた頃(主演の三上博史に似ていると良く言われたもんです)ですから、今となっては信じられないくらいスキー用品が売れていましたので、それはそれは忙しい店でそれはそれは過酷な労働環境でした。
シーズンともなると休みなく毎晩夜中まで働いて、それが終わると鬼店長に引き回されて梅田の繁華街に繰り出し、朝方まで遊んでは学生下宿のようなタコ部屋にフラフラになりがら帰るという共同生活をしていたのですが(酒が飲めないワタスにはかなり苦痛でした)
何よりNさんのマネジメントはそれはそれは厳しく、当時でも有り得なく、今なら逮捕されてもおかしくない程(笑)威圧的高圧的暴力的で、更にちょっと気に入らないことをしたひにゃあ、どつきまわされるかずっと無視され続けるかで結果ほとんどの部下が辞めていくほど強烈でした。
「オレが上司になったらこんなマネジメントは絶対しないでおこう」
思えば今のワタスのマネジメント手法はNさんを反面教師として構築されていったのです。
Nさんの元にいたことでストレス耐性も大いに鍛えられました。どんな上司が来ても怖くない強さが身に付きました。
ある日、どんどん後輩が辞めていく状況に耐えかねたワタスは勇気を振り絞り言いました。
「店長、なぜ皆が辞めていくかわかりますか?皆スポーツが好きで、この仕事が好きでこの会社にいたんです。皆この仕事がイヤで辞めていくんじゃないんです。店長がイヤで辞めていくんですよ。いい加減にしてください」
鉄拳が飛んでくるかと思いましたが以外にも「よお言うたなぁオマエ・・」と。少し寂しげで、少し褒められたような気がしました。
それから間もなくNさんはそのマネジメントが社内でも問題となり、異動していかれました。
大げさではなくこんなヒトがいるのかと思う程ハチャメチャなヒトでしたが、ワタスが転職してライフプランナーになって間もなくの頃、既に外食産業に転職されていたNさんと偶然出会い。
「よっしゃ、入ったるわ」と二つ返事で保険契約をしてくれて、おまけに部下まで紹介してくれました。
そしてその後は常に怯えながら会話していた当時と変わり、昔話をジョークも交えながら話せる関係になっていきました。
Nさん。
Nさんの元でやってこれたんだから何でもやり抜けるだろうという自信もつきました。
Nさん。
Nさんを反面教師として理想のマネジメントスタイルを構築しようと自分なりに工夫しました。
Nさんがいなければ今の自分や今の会社は無かったかもしれません。
ヒトがヒトに影響を与えるのは色んなカタチがあること、すぐにではなくても時を経てお蔭様だと気づくこともあるということを教えてもらいました。
ありがとう。Nさん。
本当に感謝しています。
享年56歳。一度は退院したゴンタ店長もすい臓がんには勝てませんでした。
合掌。
Nさんの分まで今を真っ白な灰になるまで熱狂して生きようと誓うクソ社長に気合の↓を

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